記憶の底に 第1話 |
喉が、渇く。 「兄さん、飲み過ぎだよ」 ロロの言葉に俺はハッとなって、グラスから口を離した。 グラスの中には常温の水。 なみなみと注いだ水は、もう殆ど残っていなかった。 「兄さん大丈夫?さっきも飲んでたよね?」 ロロは心配そうに言いながら、俺の手からグラスを取った。 「・・・ああ、そうだな」 そう、ほんの数分前にも、俺は水を口にしていた。 ここ1時間ほどで口にした水は、すでに2リットルを超えている。 でも、喉が渇くんだ。 異常ともいえる渇きが常にあった。 いつからだろう。 前はこんな事は無かったのに。 そう、ここ1年ほどじゃないだろうか。 「兄さん、何処か体調悪いの?」 グラスを片付けたロロがそう尋ねてきた。 「いや・・・悪くは無いよ。ただ・・・」 「喉が渇くの?でも飲み過ぎは駄目だよ兄さん」 水はカロリーの無い飲み物で、健康にいいとされている。 だが、俺の飲む量は異常と言っていいほどで、水を消化するために使われるカロリー量のせいか、ここ最近体重も減少し続けていた。 冷たい水は、内蔵を冷やす上に消化されるカロリーも大きいため、常温の水を用意するようになったのだが、体重の減少は止まらない。 水とはいえ、致死量もある。 短時間で大量に摂取する事は命に関わるのだ。 3時間に8リットル摂取した人が死んだという記録もある。 俺は1時間に2リットル口にした。このペースで飲めば、いずれ致死量を口にする事になるだろう。 これがどれほど危険な事かよく解っている。 それでも、喉の渇きを消し去りたくて、気がつけばグラスに水を満たしてしまう。 飲んでも飲んでも満たされることの無い渇き。 水ではなく血を飲まなければ満たされない吸血鬼のように、なにかこの渇きを満たすものが存在するのだろうか。 いや、そんなものあるはずがない。 俺はごく普通の人間なのだから。 「今日、ジノさんと遊ぶ約束しているんだよ?大丈夫なの?」 心配そうに覗きこんでくる弟に、申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、俺は笑顔を作りその頭を撫でた。 「大丈夫だよ。それにロロもいるんだから」 最愛の弟をこんなに不安にさせるなんて、兄失格だな。 たとえどんなに渇き、苛立ち、不安を感じても、それを悟らせてはいけない。 この子には常に笑っていてほしいから。 この弟のためになら、俺は・・・。 俺は・・・? 俺は、なんだ? ああ駄目だ、喉が渇く。 「ペットボトルの水は僕が持つよ?兄さんに持たせたら何本あっても足りないから」 そういうと、ロロは肩に掛けていた鞄に500mlのペットボトルを1本入れた。 弟に、重い荷物を持たせてしまう事に罪悪感が募る。 だが、ロロの言う通り、自分で持っていると無意識に水を口にしてしまうのだ。 だからと言ってこれだけ水を摂取する兄から完全に水を取り上げる訳にもいかず、ロロが自分で持つことで、水分ペースを調整しようとしているのだ。 自分の欲を抑えきれず、弟に迷惑をかけるなんて。 あまりの情けなさに思わず眉が寄る。 その時、呼び鈴が鳴った。 時計を見ると、ジノが迎えに来る予定の時間となっていた。 まだ17歳だというのに、皇帝の騎士、ナイトオブラウンズ、ナイトオブスリーに席を置く幼馴染で親友のジノ・ヴァインベルグ。 現在は任務のため日本に滞在し、時間の許す限りアッシュフォード学園に通い、そして休日にはこうして俺たちを誘い、外に遊びに行くのだ。 そう、親友。 日本で出会った初めての友人。 去年再会した、大切な親友。 そこまで考えた時、再び強烈な渇きに襲われた。 まだ春先だというのに、まるで真夏のように日差しが暑く感じられ、それが余計に喉の渇きを主張する。 この暑さは、まるであの幼い日の夏を思い出させた。 そう、ジノと遊びまわったあの夏の日を。 ジノに手を引かれて野山を駆け回り・・・。 手を?ジノが?俺の手を引いて駆けまわる? ・・・いや、手を引いたのはきっとロロだ。 そう、今のように。 「行こう、兄さん」 ロロに手を引かれ、俺は玄関へ向かった。 この心の動きを気づかれてはいけない。 顔には笑顔を乗せ、玄関を開くと、明るい太陽のように輝く金髪と、それに負けないような笑顔でジノが立っていた。 「おはよう、ルルーシュ、ロロ。さ、行こうか」 促されるように扉から外に出、玄関の施錠をする。 かちり、と硬質な音がして、やけに耳に残った。 ああ、喉が渇く。 まるで夏の太陽を思わせる親友。 誰よりも愛らしい、最愛の弟。 この二人といると、余計に喉が渇く。 俺は緊張しているのだろうか? 愛する二人と共にいて緊張? 馬鹿な。 ならば何なのだろう。 この渇きは。 この飢えは。 やはり俺はどこかおかしいのだろうか。 俺は不安を心の奥に仕舞い込み、笑顔で待つ二人の元へ足を進めた。 |